「いつも心の中に、ためらいを」ー 花人・山本郁也氏 作品集「風動いて開く花」への寄稿文公開



いつも心の中に、ためらいを。 「ためらい」という言葉が、前向きな意味で使われることはあまりないかもしれない。頑なに走り続けることが強さだと教えられ、迷ったり立ち止まったりすることは歓迎されづらいように思う。


哲学者の内田樹さんは『ためらいの倫理学』において、知性とは「自分が誤り得ることについての査定能力」だと語っている。人はつい己の正しさを証明しようと必死になってしまうが、絶対的な真実や正義がもはや存在しないこの世界では、もう少し謙虚にためらうことがあっても良いのかもしれない。

 近代産業社会システムの限界が様々なところで露呈している中、従来の当たり前や既成概念に対する違和感が健全に立ちあがっていくことは大切だ。なぜなら汎システム化とはつまり、そうした違和感を感じさせないような、いわば「鈍感な人間を再生産していく仕組み」にほかならないだからだ。


そこから抜け出すには、生身の人間としての直接的な知覚を、あるいは、社会学者の宮台真司さんの言葉を借りれば「社会システムの外に連れ出してくれるような身体体験」を回復していくことがまず必要だろう。


ためらいとは、いわばそうした違和感の発露とも言える。それは、既存の社会システムに飼い慣らされた思考様式ではなく、もっと深いところで自分が大切にしたいつながりや、腹の底から信じられる何かとの直観的な出逢いなのではないだろうか。


花がもたらす一瞬のためらい。それは、山本郁也さんの言う「愚かさ」への気付きであり、祈りであり、あるいは、近代産業社会システムの終焉を乗り越えるための道標なのかもしれない。


 ぼくはエコロジーや生態系を切り口にこれからの時代の人間観やビジネスの在り方を探索するEcological Memesという場を主宰しているのだが、「生命と日本文化〜花を通じて考える自然との共生〜」というテーマで山本郁也さんをお招きして話を伺った中で、印象に残っている言葉がある。


「いつも心の中に、床の間を」


床の間に立てられた花の姿は前方180度しか見ることができない。それは神の依代、つまり神様が降りてくる目印として立てられたものであって、花の背後は神様にしか見えないというのが古来の考え方だそうだ。


つまり、床の間に飾られた花の背後には、常に人の世界を超越した余白が広がっていたわけである。しかし、生活様式の変化と共に、床の間は日本の風景から姿を消し、立てられた花の裏に広がっていた人知の届かない世界は暮らしから切り離されてしまった。そうしたことに警鐘を鳴らしたのが上述の言葉だった。


「知識は力なり」というフランシス・ベーコンの近代科学思想にも顕著なように、農業革命、さらには産業革命を経て、人類は自然を搾取や支配の対象としてきた。


そうした中で、人はいつの間にか自分たちが世界のすべてをわかるという前提でものごとを認識し、人知の及ばない領域、そもそもわからない世界があるということを忘れかけてしまっているのではないだろうか。


花がもたらす一瞬のためらい。それは、人知を超越した世界にぼくらをつなぎとめてくれる記憶なのかもしれない。




 十六夜と書いて、いざよいと読む。これは、ためらうという意味の古語「猶予う(いざよう)」が由来だ。十六夜の月は、周期の関係で十五夜の日より少し遅れて現れるので、その様子を昔の人は「ためらいながら現れる=いざよう」月と呼んだのだそうだ。


月でさえ、ためらうリズムを持っているのだ。況(いはん)や、人間をや。既成概念に囚われ、訓練された「正しい」思考に絡み取られてしまうことなく、生身の違和感を具(つぶさ)に感じ取り、ためらい、立ち止まってみる。そして、ゆっくりと深呼吸をして、また歩き出す。


この作品集は、そんな「一瞬のためらい」をぼくらの暮らしにそっと添えてくれるような気がしている。


2020年 夏至の日 新月を感じつつ


昨年Ecological Memesのトークサロンvol.6「生命と日本文化 〜花を通じて考える自然との共生〜」にご出演いただいた花人・山本郁也さんが、季節の花写真とともにその哲学や思想を綴った作品集『風動いて開く花』を出版されました。その作品集のあとがきに発起人・小林が寄稿させていただいた文章「いつも心の中に、ためらいを」を公開いたしました。


また、9月19日(土)のお昼下がりには、「人と花と祈りと」と題し、同作品集の出版記念トークイベントが開催されます。山本さんのお花の活動や作品集に込めた想いをお伺いしつつ、Ecological Memes発起人の小林も交えて、日本古来の文化や精神性と深くつながったお花の世界や、自然や他の生命、人ならざるものとの関わり方について深めていきます。イベントの最後には、日々の暮らしの中でお花と新たに出会い、いけばなを学びながら、自らの内なる自然性と向き合っていくためのプログラムのお知らせを予定していますので、ご興味ある方はぜひご参加ください。 花人・山本郁也氏 作品集「風動いて開く花」出版記念トークイベント~人と花と祈りと~

https://peatix.com/event/1608296/


なお、山本さんをお招きした昨年のサロンの様子は下記よりご覧いただけます。

「生きる感覚」としてのセンス・オブ・ワンダーを養う〜お花を通じて考える自然との共生〜


© 2019 Ecological Memes