山から、川になって、また海へ。自動操縦を手放し、内側からしみだす感性を迎え入れる[萃流探求プログラム in 熊野・那智 体験レポート]
- 7 時間前
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2026年5月、「萃流探究プログラム in 熊野・那智」が開催されました。熊野・那智でいのちをめぐる旅へといざなうElcami Tripの佐藤さんと Ecological Memes代表 小林のナビゲートのもと、熊野・那智のダイナミックな山と海のつながりと溶けあい、この地に流れる深い根源性に身を委ねて、内なる萃点を探りました。本記事はプログラムに参加された吉田直美さんが旅路を振り返り、寄稿してくださったものです。告知を見た瞬間、心が騒いで仕方がありませんでした。
二年前、勝浦の elcamino delpoeta(エルカミーノデルポエタ) でお会いした佐藤由明さん・ゆかりさんご夫妻と、Ecological Memes のやすさんが、南方熊楠の「萃点(すいてん)」ということばをまん中に置いて、熊野・那智・勝浦を舞台に行う三日間の探究プログラム。参加費は決して安くなかったけれど、その直感を止めることはできませんでした。昨年、リジェネラティブ・リーダーシップの著者 Giles Hutchins のプログラム(ロンドン近郊の森)に飛び込んで、ことばにならないほど大きな身体感覚を受け取ったこと——その余韻が、今回への期待とつながっていたのだと思います。
「萃点」とは、あらゆる流れが集まり、交わり合う一点のこと。この三日間そのものが、私という川がいくつもの流れと交わり、また海へと注いでいく体験になりました。
一日目 ── 苔が、やわらかく押し返してくる


前日までの雨が晴れへと移ろうなか、紀伊勝浦駅に降り立ちました。マイクロバスに揺られ、運転手さんにすべてをゆだねる安心のなかで、由明さんから熊野のこと、やすさんから地形のことをうかがいます。二年ぶりの熊野。あのときの楽しさ、神々しさがよみがえると同時に、この二年で自分がずいぶん変化したことにも気づかされました。何より、お山が美しい。
もやの中、色川神社へ。川の水音がひびくなか、小さな社に足を踏み入れます。苔が、本当にすばらしいのです。水の豊かな山に囲まれ、木々に守られながら、苔は苔らしくその命をかがやかせ、菌や、もっと小さな存在たちと共にいる。足をのせると、やわらかく押し返してくる。その下の土や菌たちは、いったいどうなっているのだろう——。これまで森で感じたことのある「ふかふか」を苔から感じる。
隆起したお山がつながりの象徴 私たちはむかい入れられひとつになった
昔のベッドに横たわり土地の香をすいこんだとき
安心が体じゅうにひろがった
おなかをあたためてもらいそこから一体になっていった
脈々と流れつづけているエネルギーが体の中に流れこむ。
そしてまた出ていく。呼吸のひとつひとつがやりとりだ
美しい姿を見せて楽しませてくれる。歓迎されている
深く深く深くはいっていこう
(萃点のことばカード「見えない暴力性」「人ならざる存在の行為主体性」とともに)
やすさんのリードで、苔の上にうつぶせに横たわりました。「濡れてしまうな」と思いつつ身をあずけると、想像もしなかった心地よい香りに包まれます。森の香りとも、草の香りとも違う。苔と土と水と、いくつもの生きものが織りなす、かいだことのない美しさ。同時に、胸とお腹へやわらかなサポートが届き、安心がじわりと広がっていきました。
一方で、最初のワーク——カードを引いての短い自己紹介——では、語られることをただ聴くことができず、自分の中にジャッジが生まれていることにも、うすうす気づいていました。それも含めて、旅の始まりです。

阿弥陀寺へ向かう途中、色川地区の棚田へ。のぼるほどにもやが濃くなり、到着した頃には数メートル先しか見えません。晴れていれば海まで見渡せるという声を聞きながらも、もやは動く気配がない。やすさんのほら貝の音が谷へ向かってひびきます。あきらめて出発しようとする私たちを引きとめるように、もやが一気に晴れていきました。想像のなかにしかなかった棚田が、姿を現してくれたのです。
やわらかな曲線でふちどられた棚田のつらなり。半分は水が張られ、半分はまだ。効率を求めて一律の四角にしなかった先人たちが、水の流れという自然の摂理に開かれていたこと。その体験智に、胸を打たれました。じらされたからこそ味わえる感動——萃点のことばにもある「手間をかける」という時間の意味を、身体で受け取った時間でした。

その後、阿弥陀寺奥の院へ。雨あがりの滑りやすい石段を、前回すべって転んだ記憶に足がすくみながら登っていきます。由明さん、やすさんが「無理せず行きましょう」とケアしてくださる。それでも「大丈夫です」と、つい口にしてしまう。頼ってはいけない、グループのペースを乱してはいけない——そんな自動反応です。けれど、その声をそっと手放して、ただ息のリズムに合わせて歩を進めていく。苦しい、足が重い、すべる。その三つを味わいながら頭を上げると、光の差し込む美しい山道であることに気づきます。苔がいて、若木がいて、朽ち木がある。多様な世界です。
奥の院ではやすさんの呼吸と瞑想のワーク。太陽の正面に座り、木もれ日を感じながらお山とともに呼吸を続けます。私の吐く息が山へ戻り、新しい空気が自然と入ってくる。いちばん遠くの音へ感度を開き、それから近くの音へ。意識の向け方で、耳そのものが変わっていくのを感じました。
タごはんはなつかしい elcamino delpoetaでさゆりさんのごはんをいただく。 さゆりさんは鮮魚店の娘として生まれ、青果の仲買いを経て由明さんと店を開いている。 勝浦で水揚げされた生マグロと色川のお野菜。勝浦の食べ物のエネルギーをさゆりさんを通してからだに注ぎ込む時間でした。

二日目 ── 陰の力から、陽の力へ


二日目は、大門坂を歩き、那智大社・青岸渡寺・那智の大滝を参拝させていただいた後、川へ。さゆりさんのお弁当を受け取り、別の滝へ向かう途中、流れの急な川を渡らねばなりませんでした。身がすくみます。やすさんが手をとって導いてくれる。頼るしかない。けがをすれば、みんなの流れを止めてしまう——その思いから、何もかも忘れて「頼る」ことを選びました。
頼るって、こんなにハードルが高いものだったのか。甘えとは違う。群れ(トライブ)として動くとき、弱いものは守られ、力のあるものは力を貸す。自分の無力を自覚したうえで、助けてもらうことを自ら選ぶ。ここに、上下ではない、水平の——あるいは斜めの——関係性への入口があるのかもしれない。「助けてもらう」に、自ら飛び込む。それは、私にとって大きな一歩でした。
川の水に足をひたすと、冷たく速い流れが疲れをいやしてくれます。うつりゆき、流れゆく水たちが、活き活きとその存在を楽しんでいるように見えました。右へ行くもの、左を選ぶもの。ここには戻ってこない、とどまらないことを、いさぎよく受け入れている。物質循環の一部としての自分——固定化したものなど、少しもないのだと気づきます。
萃点のことば ── 手放したいもの、迎えいれたいもの
川のほとりで、そして三日目の朝のジャーナリングで、萃点のことばカードとともに「手放したいもの/迎えいれたいもの」という視点から、今ここを振り返りました。
私が手放したいと感じたのは、自動的に答えをサーチする能力と、その感度の高さでした。人の話を聴こうとするとき、これまで慣れ親しんだ回路が発動して、その場の「答え」らしきものを探しにいってしまう。「良かれと思って」「役に立ちたい」という思いが、さらにその感度を高める。
そして迎えいれたいのは、内側からしみ出してくる感性。自己の心地よさをどこまでも感じるためのスペース、余白、ゆとり、静けさ。地に足がついている感じ。すべてとつながっていることに、耳と全身を開いていること。
「内面のかすかな声を、いつくしむ」。痛みも悲しみも怒りもむなしさも——かすかに聴こえる声こそ、聴かれるのを待っている。この旅で、私の中の「やわらかな部分を守ってくれる、絶対的な安心の存在を求める声」が聴かれたこと。なんてありがたいことか、と思いました。


三日目 ── 涙が海とまじわるとき
夜明け前、障子の向こうが濃いオレンジ色に染まっているのに気づき、飛び起きました。お蛇浦へいそぎます。濃い赤と海のつながるところから、太陽がゆっくりと昇ってくる。世界が光に包まれても、太陽自身はただ淡々と昇っていくのですね。
そしていよいよ、海へ。ウォーターフローティング。「ライフジャケットをつけているから絶対に沈みません」——頭では理解しても、身体は信じていません。「おまえはダメだ、どんくさい」ということばがのろいのように、どこからか反響してくる。こわい。これは助けてもらうしかない。「海がこわいんです」と伝えると、「わかりました。一緒に行きますからね」と、やすさんと由明さんが準備してくださる。見守られながら、それでも自分の足で一歩ずつ進むうちに、小さな自信が積もっていきました。
あお向けに浮かぶ。首の緊張はとれても、肩と腕の緊張はなかなかとれない。それでも、おおむねぷかぷか。うかんでる。
そして洞窟のなかで、母とのつながり直しの時間が訪れました。やすさんと由明さん、そして仲間に見守られながら、包まれ、つながって——にじんでくる涙、続く悲しさ、さみしさ。どうにもできない感じを、ただ味わい続けます。涙がひと粒こぼれ落ちる、その直前に、直感的に思いました。「涙が海とまじわったとき、私の、幼い頃の分離の体験に、ピリオドが打たれる」。それが、まさに起きました。こぼれ落ちる涙と同時に、全身の力がぬけ、いのちがめぐりはじめたのです。
山で枯れ、土に還ったいのちたちの層を通ってしみ出した水が、河や湧水となり、海へつながる。海の生きものが育まれる。そもそも、いのちは海から生まれてきた。私の個人的なつながりも、その大きな循環のひとつとして、含み、含まれている。なにも恐れるものはない。すべては最初からあり、流れ、動いている——洞窟の中には、そのすべてがひびいていました。

循環は、元には戻らない
チェックアウト。そして別れの時。 由明さんの声のふるえが私にも伝わってきました。 「なおみちゃんをみんなでお見送りするからね」 駅のホームで荷物を整えていると、思いがけない方向から「なおみちゃん〜!」の声。ふりかえると、由明さん、やすさん、陽子さん、子どもたち、ゆかりさんとベビーちゃんまで、みんなが手を振ってくれています。なんという温かいお見送り。列車が動き出すと、年長の子どもたちが走り出し、由明さんはベビーちゃんを抱いて走ってくれる。お兄ちゃんは、限界まで走り続けてくれました。文字にしている今も、涙があふれます。
流れる水が雲になり、また川の水となって戻ってくる。人を通してこの世に表された体験も、また私たちに戻ってくる。けれど、それは元の場所へ戻るタイプの循環ではありません。私という存在がなければ起こらなかったさまざまな出来事が、他で起きていることと関係を持ち、つながりながら、少しずつ形を変えて循環していく。
「自動的に答えをサーチする自分」を手放し、「内側からしみ出す感性」を迎えいれる。この萃点のことばを、私は日々の対話の場へ——自分がひらいた小さな対話の場「awaie」へ——静かに持ち帰りました。頼ること、聴かれること、全体とつながっていること。熊野の山と水と、佐藤ご夫妻とやすさん、そして共に旅した仲間たちが手渡してくれたものが、いまも私の中で、川のように流れ続けています。
ありがとうございました。また、あの海と山へ。


文:吉田直美(awaie 主宰/Ecological Memes) 2026年5月28日–30日 萃流プログラム @熊野・那智・勝浦 https://suiten-no-kotoba.ecologicalmemes.me/suiryu/2026nachi/
【萃点のことばプロジェクトについて】
「人と自然のつながりを取り戻し、生命の営みや生態系に根ざして生きるための実践の知恵・コツ」としてまとめた萃点のことばカード。既存の価値観に囚われない新たな視点から、一人ひとりが大切にしたい価値観や在り方を引き出し、チーム・組織での対話促進、関係性づくり等に活用していくためのカードツールです。活用ワークショップや研修プログラムのご相談もお気軽にお問い合わせください。
次回の萃点探究プログラムは、9月11日〜12日富士山静養園にて!
萃流探究プログラム in 富士山静養園
feat. リジェネラティブ・リーダーシップ




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