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富士の水流に身を委ねて。繊細な感覚は、苦しむためではなく、自然の摂理や世界の痛みを感じることができる力なのだと気が付いた [萃流探求プログラム feat. Regeneraitve Leadership 体験レポート]

5 時間前
読了時間: 15分

はじめに

はじめ

2026年9月、「萃流探究プログラム in 富士山静養園 feat. リジェネラティブ・リーダーシップ」が開催されました。霊峰富士の西麓、標高約700mに佇む富士山静養園を舞台に、森羅万象のつながりと循環へと自らをひらき、世界とのリジェネラティブな関係を紡ぎなおしていくための在り方やリーダーシップを探りました。本記事はプログラムに参加された片岡さんが旅路を振り返り、寄稿してくださったものです。


今回の「萃流探究プログラム」に参加することができ、本当に良かった。


今回のプログラムは、Ecological Memesが探究してきた『萃点のことば』と、生命システムに根ざした新たなパラダイム『リジェネラティブ・リーダーシップ』を組み合わせた二日間の特別プログラムで、参加するにあたって『リジェネラティブ・リーダーシップ(ローラ・ストーム、ジャイルズ・ハッチンズ著、小林泰紘訳 )』を読み、事前セッションを受講した後、各地から集まった参加者と共に富士山静養園の森で2日間を共に過ごした。


最初はとても緊張していたが、富士山静養園の森に入った時に非常に深い安心感を覚えた。森が温かく私を歓迎してくれているような気がした。こうして大自然の中で万物に向き合うのは久々だった。生物学者ジャニン・ベニュスが言っていたように、「自然と再びつながりたいという切望*1」があったのだと自覚した。森に入ったことで自分の「内なる自然」に静謐と平穏が訪れ、徐々にリラックスしていった。


*1: ローラ・ストーム、ジャイルズ・ハッチンズ著、小林泰紘訳『リジェネラティブ・リーダーシップ―「再生と創発」を促し、生命力にあふれる人と組織のDNA―』、英治出版、2025、39頁。    


今回のプログラムのお供であった「リジェネラティブ・リーダーシップ」と「萃点のことば」
今回のプログラムのお供であった「リジェネラティブ・リーダーシップ」と「萃点のことば」

「生命そのもの」である水

森ではじまる、多種多様な存在たちとの対話


ホストの皆さんのガイドのもと、森にご挨拶をしながら入っていく。慈愛に満ちた大自然の恩恵にあずかれることに感謝して。森の様々な存在を見て触れて、幸せな気持ちでいっぱいになった。きのこ、苔、木の皮、木の幹、葉っぱ、土、川の水などの多種多様な存在たちと五感を使って対話した。皮が剥がれている木の幹に触れると、たっぷり水分を吸ってぶよぶよしていたり、苔はふわふわしたものからパリパリのものまであった。涼やかな風のウッディな香り、柑橘類やベリー系の甘い香り、なんとも言えない湿った土の匂いなどが心地よかった。印象に残っている感覚がもっともっとたくさんある。 


そして長時間、素足で川に入ったり、大地をつかむように立つことで、自然と一体になるような感覚を得た。川の流れは穏やかで、流されることなく、砂利や大きさの異なる石の上を歩くことができ、足ツボがしっかり刺激された。川の水は皮膚が痛くなるくらい冷たかったけれど、大きな岩の上にびっしり生えている苔の上に足を置いたらふかふかしていて温もりがあって気持ちよかった。また、富士山静養園創設者である山本竜隆先生が立てなおしたという祠に手を合わせた途端に、大地、私自身、宇宙が一つになったような感覚が得られた。時間が一瞬止まったような気もした。


菌糸のネットワークや自分の中に流れる細胞に自然と意識が向いていく。すると、自分の中に眠っていた活き活きとした生命エネルギーが光り輝いて温かくなった。そうしてじんわりと自分の中にあった不調和が癒えていく感じがした。それから、湧水もいただいた。雑味が無く透明度が高い。さらに飲んだ水はキーンと冷たいはずなのだが、それでいて柔和さがあり、私の身体に温かく浸透していった。   



プログラム中はデジタルデバイスフリー。スマートフォンは預けていたため、写真はスタッフの方が撮ってくださったもの。
プログラム中はデジタルデバイスフリー。スマートフォンは預けていたため、写真はスタッフの方が撮ってくださったもの。

生きとし生けるものが水でできている、ということ


今回は、「水」がテーマのプログラムであるということで、水との対話がとても大切にされていた。プログラムの冒頭にも、案内人である(一社)Regenerative Leadership Japanの徳吉敏江さんの語りを聴きながら瞑想をする時間があった。水と一緒に旅をするような気持ちで水の歴史を辿っていく。水に身を預けるようにして辿って行った。思い描かずとも、どこからかこんこんと流れゆく水の音が内側にこだましていた。自分の内側の水の流れる音と外から聞こえる水の流れる音が溶け合っていった。瞑想を終えグラスに入った水をゆっくりと飲み干すと、いつも以上に甘みを感じ、甘美なる快感を味わった。


そして、すべての食物は水でできていることを意識しながら、食事をいただく。生きとし生けるものが水でできているという一見当たり前のようなことを、目まぐるしい日々の中で過ごす私たちはつい忘れてしまう。言い換えれば、原生の自然と共に生き、惑星と親密に繋がっていた記憶が薄れてしまう。ゆっくりと時間が流れる、沈黙に満たされた空間は、そのような真理に導いてくれる。つまり、このような時空間のうちにいることで、私たちがかつて自然と一つであったことを思い出すことが大切なのだと思った。そうしてやがて、当たり前のことだけでなく、自分の内にある真理や心の中の水の流れをせき止める壁の存在にも意識が向けられるようになっていった。   





内なる自然と「萃点のことば」

「萃「萃点ことば」点のことば」

また、今回のプログラムでは、Ecological Memesがこれまで様々な領域を横断しながら探究してきた内容をまとめた「萃点のことばカード」を使って、自分自身について語るワークが行われた。この時間は他者との対話でもあり、自分との対話でもあると感じた。他者の声、自分の内なる声に徹底的に傾聴する時間だった。


カードのタイトル (種の名称)のみを見て、もし難しい言葉や理解できない言葉に出会ったとしても、その言葉を見て自然と自分の中に降りてきたもの、湧き上がってきたものを言葉として発していく。うまく説明しようとしなくても良いし、単語の羅列でも良い。わからないならわからないままで良い。つまり、自分の内に湧いていくことを素直に言葉にしていくことを重要視するワークだった。 最初のうちはこれで良いのだろうか、と考えたり不安に思うこともあった。しかし、ワークが進んでいくうちに、そのような曇りが取り除かれて自分の内側が開かれていった。   


例えば、27枚の裏返されたカードからランダムに引くと「内と外の再統合」と書かれたカードだった。この言葉を目にした時、今の自分に必要なことなのだと確信した。目まぐるしく過ごす中でデバイスに囲まれて生活していて、自然に触れる機会が多くなく、「内なる自然」と「外界の自然」が繋がる時間をあまり持つことができなかったからだ。   


私はここで、再び「内面のサステナビリティ」を大切にしたいと思った。「内面のサステナビリティ」とは、「創造性や遊び心、ウェルビーイングや身体知性を育み、自然の叡智を活用し、相互に結びついたシステムで考え、全体性の中でそれぞれが感受する自らの存在目的につながった状態のこと*2」である。自分の内側に目を向けることで、「私自身はどんな使命を携えて、この地球上に存在するのか」という根本的な問いが引き出される。生物多様性の危機に直面する今、自然との調和を取り戻していくには、まずはこのような根本的な問いに向き合うことから始まるだろう。「使命」は、「自然の叡智」から授かった「内なる知*3」にある。   


私は常にメタモルフォーゼしながら、自分自身の「内」と「外」を再び紡ぎ直し再統合させていきたい。また、かつてないほどのスピードで時代、環境、社会情勢などが移り変わる中、自分自身がしっかりと地に根を張り、自分の軸を確立させていきたい。揺らいでしまっても、自然と調和することで原点に回帰する。内なる自然を見失うと外界の自然とも繋がれなくなってしまう。


*2: ローラ・ストーム、ジャイルズ・ハッチンズ著、小林泰紘訳『リジェネラティブ・リーダーシップ―「再生と創発」を促し、生命力にあふれる人と組織のDNA―』、英治出版、2025、60頁。    

*3: 同上、214頁。    


参加者それぞれが選んだ萃点のことば
参加者それぞれが選んだ萃点のことば


繊細な感覚は、苦しむためではなく、自然界の摂理や世界の痛みを感じる力だと気が付いた

森を散策する途中、Ecological Memesのやす(小林泰紘)さんから一人の時間をとるようにガイドがあり、大地とより深く繋がる時間が訪れた。森の中で自分のお気に入りスポットを見つけ、そこにシートを敷いてその上に仰向けで寝る。空を見上げる。雨が一滴... また一滴... と降ってくる。葉を見つめる。虫に食われた葉の穴から雨粒が降ってくる。また空を見上げる。流れゆく分厚い雲をぼうっと眺めた後に目を閉じた。背中にマグマの温もりをほんのりと感じた。大地はどうしてこんなに優しくて温かいのだろう。そんなことを考えながら眠りゆく...。やすさんの吹いたほら貝の音で目が覚めた。目が覚めた時、気分は爽快だった。


その後、森の中でジャーナリングを行った。自分の中に湧き上がることばをひたすら書いていく作業である。ジャーナリングを行うのははじめてだったが、いつの間にか自分の言葉がそこに自然と紡がれていた。もうこの時には「これで良いのかな」という不安は無かった。私が感じていることと同じようなことを参加者の皆さんも感じていたりするからだ。ここに集まった皆さんは、各々全く異なる人生を生きているけれど、共感したり共鳴したりできたことが嬉しかった。静養園の菊野陽子さんが「言語化しにくい繋がりに身を置きたい」と仰っていた。その言葉がスッと腑に落ちた。


シェアの時間は、必ずトーキングピース (地衣類が着生している小さい太い木の枝など)を持っている人が話をして、話者以外の聞き手は静かに話者の話していることに耳を澄ます。そして話者が話し終えたら、聞き手はその話者に向かって手を合わせて黙って礼をする。話す順番は決まっていない。ここぞというタイミングでトーキングピースを持って話をする。このわかちあいの時間には、誰もが安心して発言できる空間が創られていた。 


私は、自分を被害者として考えることを手放して、無自覚なストレスを癒したい。私は昔から身体が非常に敏感で、心も繊細だった。身体の皮膚も心の皮膚も薄くて脆かった。様々なトラウマから、新しいことに一歩踏み出すことが怖かった。恐れからくる思い込みで行動を制限し、自分の思いを閉ざしてしまう。それらの繊細さは私を苦しめるためだけに存在していたのだろうか、いや、そうではない。その繊細な皮膚や感覚は、自然の摂理や人の痛みに敏感に気づける証でもあったのだ。過去の傷に囚われ、理由付けして、行動を制限していることに気づいたら、その都度丁寧に向き合って手放したい。



二日目。一人早朝の森に入っていき、歌を歌って、森にご挨拶。木の根っこに裸足を乗せて、幹を抱きしめて対話する。富士静養園の森は温かく私を受け入れ、愛のメッセージを伝えてくれる。しばらく切り株に座って泣いた。嬉し涙は甘い。水も、甘かった。私と自然は愛そのものだ、と思った。   

森散策②

またここでも新たな発見をする。それは2本の気高い木が支え合っているさまを見て、自分の中で深く印象に残った。左側の木には装飾が無く、清貧さと謙虚さを感じさせる。静かだけれども揺るぐことなく、そこに在る。右側の木のほうに傾き、そっと寄り添っている。まるで聖母マリアのようだった。一方で右側の木は、力強い茜褐色の根を螺旋状に身にまとい、無数のきのこをその身に宿しながら、天に向かってまっすぐに伸びている。その姿は受難を乗り越え、無限なる大きな愛を示ししているイエスの姿と重なった。   


それと小さなテントウムシのような昆虫を見つけた。一見すると真っ黒な虫なのだが、よく見ると、まるでラメのように多彩な光が煌めいているのがわかった。富士静養園には、非常に希少な生物がたくさんいると思うと、その奥深さに圧倒された。それに、そこにいる虫たちは私に危害を加えることはなかった。環境が穏やかだからなのだろうか。蚊にもブヨにもヒルにも噛みつかれなかったことに驚いた。




森の底を流れる、深い真実の水


朝食後、再びみんなで森に入り、祠のある湧水地へ向かった。そこでYasuさんが朗読する山尾三省著 『水が流れている』の一節を湧水の音と共に聴きながら、瞑想をした。


"...私たちは ほんとうは

かっては水であり 水として流れ

水として如来したものたちであった


私たちは ほんとうは

今も水であり 水として流れ

水として如来しているものたちである


水は 流れ去り 流れ来る

億の私たちであり ただひとりの私である


森の底を

水が流れている

深い森の底を 深い真実の

水が 流れている"


出典:山尾三省著『水が流れている』(野草社, 2002)


私たちは本来、水なのだから、見えにくい奥まった「深い森の底」にある深い真実に流れていくことができるはずだ、という山尾さんからのメッセージは力強くも優しさがあるものだった。水は生きとし生けるものに共通して流れているものだ。そこに真理があるのだと改めて気が付いた。それと同時に、水の流れる音と朗読を聴きながら、血液が流れている音や動きを感じ取った。身体と心が浄化され、滞りなく流れ続けている。




私たちには、水のように湧き出てくる生命エネルギーが宿っている


静養園に戻り、今度は水ではなくお茶をいただきながら瞑想を行った。 この時はもう意識がはるか彼方へトリップしていたため、記憶が曖昧だ。お茶を飲むこと自体が森林浴になる。お茶を飲んで自然の恵みを受け取ることができた。五感を使ってお茶の香気と温かさに集中する動作自体がマインドフルネスになっていて、森林浴で自然に浸っている時間と同じような癒しの効果を感じた。    

参加者全員が輪になり座った、そこには「お水さん (グラスに注がれた神聖な湧水)」の席も用意されていた。

お水さんは一見、人ではないかもしれない。しかし、その存在がそこに明示されることでコミュニケーションをすることが可能だということが興味深い学びだった。きっとそれは、私と水の中には宇宙の記憶があるから、そして生命エネルギーで繋がっているからなのだろう。   


リジェネラティブ・リーダーシップのDNAモデルは、3つの領域で成り立っている。「生命システムデザイン」、「生命システムカルチャー」、「生命システムビーイング」である。その3つの領域の含まれている要素がカードになっている (合計17種類)。1人につき計3枚のカードがランダムで手元に回ってくる。まずはその回ってきたカードのキーワードを見て浮かんだ問いや言葉などを紙に記す。その後に、自分の持っていた質問紙と3枚のカードを1つにまとめたものを右隣の人に渡す。そして同時に左隣の人からそれを受け取る。こうして問いのリレーのような工程を3回繰り返して、最後自分の手元にあるカードに書かれている問いを受け取り、応答する。私が書いた問いのカードはお水さんに渡った。お水さんに答えていただけたのは貴重な体験だった。   


私は、「理にかなった形状や構造」、「多様性とインクルーシブな文化」、「プレゼンス」というキーワードが書かれたカードを引いた。まず最初に「理にかなった形状や構造」に目が留まった。私の脳内に真っ先に質問が浮かぶ。「とある木の根っこが下から上に向かって、螺旋状に渦巻いていた。この姿からどんな着想を得る?」と紙に書いた。お水さんからの答えは、「私の中にもあなたの中にも宇宙の欠片が水や血となって流れているんだよ」という。まさに、私の中には宇宙のDNAが流れているのだ。これを聴いて新約聖書のヨハネによる福音書の7章37節から39節を思い出した。「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである」。つまり、水は聖霊に似たようなものだと言えるだろう。だから私たちは、いつでもどこでも誰でも、愛を享受することができ、エマヌエーレ・コッチャのいう、水のように湧き出てくる生命エネルギー (un éclat de lumière*5) が宿っているのだと思う。絶えず移り変わり、メタモルフォーゼしていく生きとし生けるものや時空の流れの中においても、私たちの身体に宇宙のDNAが宿っている限り、水、聖霊、光のきらめきは、確かに、潜在的に存在しているのである。


そして、「プレゼンス」には、「内なる自己(内なる自然) および他者や世界(外界の自然)との深い関係を育む」という意味合いがある。これは、1日目の「萃点のことばカード」で引いた「内と外の再統合」に通ずるだろう。つまり、私を取り巻く森羅万象と私自身の生命エネルギーの関係がより親密になっていくことがとても重要であると気づいた。   


*5 エマヌエーレ・コッチャ著 "Metamorphoses"を参照。「すべての生きとし生けるものは、ある意味で同一の身体、同一の生命、同一の自己であり、それが形から形へ、主体から主体へ、存在から存在へと絶えず移り変わり続けている。この同じ生命は惑星を生かしているものであり、それもまた以前から存在していた身体--太陽 から生まれ、物質の変態を経て約45億年前に生み出されたものだ。私たちはみな、一つの小片(parcelle)、一筋の光のきらめき (un éclat de lumière)だ。エネルギーであり、太陽の物質がこれまでの無数の過去の存在で行ってきたものとは異なる形で (別様に) 生きようとするものなのである」  


ジャーナリング②

1日目の時と同様に、わかちあいをする前に15分間のジャーナリングを行った。ここでは、本プログラムに参加して、新たに見て感じたことをノートに書き起こした。私は池のほとりのベンチに座り、池に鎮座している大きな岩に生えている苔を見ていた。苔には様々な色がある。緑だけでなく、薄いブルーグレー、白、淡いピンク、茶のものもあった。どうしてだろう、これほど豊かな色彩が共存し、風景に調和しているのは。どうしてだろう、色とりどりの命が岩肌に静かに寄り添っているのを見ると、心に静寂が訪れるのは。自然の不思議について考えるのは好きだ。  


そしてもう1つ、この短い時間の中でも新たな発見があった。大きな岩を見た後に、森のほうへ歩いて行った。そして、人気のない池をじっくり見られるスポットを見つけた。そこには、ニホンミツバチとモンシロチョウがいた。見つめていると、ニホンミツバチが池の水面に接吻をする密やかな音が聞こえた。その後モンシロチョウの羽音も聞こえた。そのことに気づけたのが嬉しかった。

プログラム最後のわかちあい


おわりに

おわりに:森羅万象と溶け合う世界で

富士山静養園の森で、焦点を定めずにぼうっと虚空を見つめながら、万物流転しているさまを肌で感じる。そして、活き活きした生命のエネルギーが漲っているのを感じる。内なる自然と森羅万象がひとつに溶け合う、そんな時間が最高に良かった。


自然の流れの中に身を置く体験をしたことで、先天的に自分の内側に眠っている感覚や能力に気づいた。そのうえでアイデンティティやライフプロジェクトをデザインし直し、新しい一歩を踏み出したい。そして、自分なりのソーシャルイノベーションのためのデザインを見つけて、共鳴する仲間と共に創り上げていきたい。約46億年の地球の歴史が織りなす生命のきらめきを内側で携えながら、愛の灯を掲げ、今を生きていきたい。   


9月の新月の日、富士山静養園で出会えた皆さんと時間を共にできたことに、心より感謝申し上げます。   

募り深まる感謝を込めて。


書き手:Yurina Kataoka





 
 
 

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