社会と経済の“あいだ”を取り戻す?知識生態学・紺野教授に学ぶ、主客未分のエコシステムのデザインとは?【講演編】

2019年12月、エコロジーや生態系を切り口にこれからの時代の人間観やビジネスの在り方を探る領域横断型プロジェクトEcological Memes主催のイベント『Ecological Memes Forum 2019 〜あいだの回復〜』が開催された。

本記事では、組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに研究を行う、多摩大学大学院の紺野登氏をゲストにお招きした『経済と社会の“あいだ” 〜知を育む生態系づくり〜』のセッションについてレポートする。

知識社会におけるエコシステムの重要性にはじまり、東洋的な場の感覚、集合知性や中動態など、セッションの内容は深く多岐に及んだ。前編では紺野氏の講演を、後編では株式会社BIOTOPE代表佐宗邦威氏を交えて行なった対談をお届けしたい。


紺野氏は多摩大学大学院教授、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特別招聘教授を務めるほか、一般社団法人Japan Innovation NetworkのChairperson、一般社団法人Future Center Alliance Japan代表、ECOSYX Lab代表として、組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに研究・実践支援を行う


社会・経済システムの変遷と知識社会の到来

“知を育む生態系”を考えていく背景として、紺野氏はまず過去500年ほどの社会・経済とその生産システムを振り返った。

まずは教会や王様が土地を支配し、そこで農民が働く領土国家の時代。そして16世紀以降は、商人やブルジョア市民が生み出した国民国家、そして生産手段を所有する資本家が国家を牽引していく工業社会の企業国家の時代、という流れで変遷してきた。

現在はその次の社会・経済を支える生産システムとして、肉体労働ではなく知識で付加価値を生み出すナレッジワーカーの時代が予見される。彼らは場(プラットフォーム)をつくり、そこに人々が集まり多様な知識が共有され創造されることで経済価値を生み出す、知識社会の時代になっている。

マネジメント論の大家であるピーター・ドラッカーが1950年頃から言っていた起業家的な精神を持った知識社会が、ようやく本格的に訪れ始めたというわけだ。


では、そうした知識社会はどこへ向かっていくのだろうか。

アメリカでは2019年8月に、APPLEやAMAZONなど名だたる企業が「株主第一主義」を見直すという宣言を行った。紺野氏は、このステートメントの本質は、社会的な目的とイノベーションへの経営の方向転換であり、ROE偏重により分断されてしまった社会と経済をいかにつないでいくかが重要命題になっているのだという。

そこで、重要になってくるのがエコシステムの概念だ。


モノや業界を超えたエコシステムの重要性

2019年11月にオーストリアで開催された第11回グローバル・ピーター・ドラッカー・フォーラムのテーマは「パワー・オブ・エコシステム(エコシステムの力)」だった。今多くの経営者やスタートアップはエコシステムを口にする。これ自体は新しい言葉ではないが、なぜ今ここまで注目が集まっているのだろうか。

同フォーラムに登壇した世界最大の白物家電の企業ハイアールの張瑞敏(チャン・ルエミン)CEOは、これから同社は「プロダクトカンパニーをやめて、エコシステムの会社になる」と明言したという。

10分間洗濯機など彼らのプロダクトイノベーション自体も面白いのだが、焦点はもはやそこではない。むしろ、製品(モノ)にのみ集中することがこれからの組織にとって最大のリスクになる。モノよりも顧客の経験を持続的に提供し、その価値を高めていくエコシステムを構築できるかが鍵を握っているのだ。


紺野氏によれば、エコシステムはプラットフォームの提供者、その上での価値の提供者と享受者、価値交換を行うユーザーから構成される。エコシステムは事業や組織レベルから地域、国家レベル、あるいはそれら同士のつながりまで多様な広がりを持っている。そこでは大目的(大義/社会意義)を志向する信頼できるコミュニティ、知識の共有や共創する仕組み、ビジネスモデルが積み重なっていく。

日本企業は、テクノロジーでプラットフォームを作ることまでしかみえていないことが多いが、重要なことはそのプラットフォームをどのように活用し、その上で多様なステークホルダーからなる生態系をどのようにつくっていくかが重要なのだという。

こうしたエコシステムの時代には「産業」という概念も変わってくる。従来のような「自動車業界」といった、モノで産業を捉えるクラスターの時代ではない。モノとコトが融合し産業の境界が溶解することはもちろん、さらにはモノやコト、様々なプレイヤーが関係しあうエコシステムがこれからの新しい産業の生まれ方だ。

実際に、ヨーロッパではイノベーションスーパークラスターといった言葉が使われ始めている。クラスター(業界や領域)をモノではなくテーマで捉え、そこに大学や行政、企業や市民などステークホルダーが集まり、ユーザーや生活者にとって必要な社会モデルやイノベーションを構想しはじめているのだという。



背後に存在する「みえない」エコシステムに気が付いているか?

紺野氏は、一度ここまでを振り返り、エコシステムの時代の経営原則としてまとめた。

まず、ROE(株主資本利益率)など利益ではなく、顧客や社会にとって本質的価値のある“経験”を提供する(目的充足が重要な尺度となる)こと。

次に、トップダウンの官僚主義ではなく自律的なアジャイルなチーム組織への変化の必要性。エコシステムの時代に官僚主義のまま成長ということは不可能だというのはすでに経営のコンセンサスになっているそうだ。つまり、組織の垂直階層モデルからより柔軟な水平ネットワークまたはエコシステムへ の移行である。

最後に、これらを通じた、一社のロジックにとらわれないエコシステムの創造と維持だ。

エコシステムという観点からの買収、投資、提携、そして様々なガバナンス構造 を考えるべきだ ― 例えば1社であらゆる領域のサービスやデータの独占をグーグル型、多数の自律的な組織が自在に連携していくテンセント型、あるいは複数セクターが連携するプルーラルセクター型など ― を考える必要があるという。

重要なことは、エコシステムは見えないということだ。だが、背後には必ず存在している。

紺野氏は、「もしあなたが自社の将来について考えていないなら、ある時他人の創ったエコシステムの内にいることに気付くでしょう」というフューチャリストのエイミー・ウェッブ氏の言葉を紹介し、これからのマネジメントには見えないエコシステムの存在に気がついているかどうかが非常に重要になると述べた。


生態系を育む上で重要になる東洋的な「場」の感覚

さらに、「せっかく禅寺でお話ししているので」と、話は日本的経営に埋もれている文化的なものやエコシステム的な要素の重要性に深く切り込んでいく。

例えば、日本発の哲学者といわれる西田幾多郎は、自分が場と融合することや、自然とそうでないものが分かたず融合する場の世界を純粋経験として表現した。

エコシステムの時代に我々が世界を認識する上で、場の感覚はすごく重要になってくるわけだが、西洋において場というのは主客分離型、すなわち、あなたとわたしという主語が先にくる。だが、東洋で理解される場というのは、そうではなく、あなたとわたしを保留・消去し、述語が先にくる主客未分の捉え方なのだという。

こうした考え方をもう一度見直すことが知識創造や、イノベーションマネジメントの時代に重要になると紺野氏は話す。



脳と身体がつながった全体としての集合知性

こうした日本的な場の認識は、知のネットワークやAIとも関わっていく。

DEATH STRANDINGという原野を彷徨いながら人々をつなげていくこれまでにない類のゲームが世界中で話題になっているが、開発者の小島秀夫氏はそのコンセプトは、勝つことでなく「間接的に繋がる」ということだと言っている。

これまでのAIは、「勝つ」ために対象の特徴を分けて識別するディープラーニングを徹底的に行う主客分離型のブレインモデルだ。これが悪いわけではないが、これから重要になるのは、ブレイン(脳)は身体を含めてつながりあっていて、ネットワーク全体で一つの智慧になっていく集合知性の考え方だ。これは東洋的ではないかという。

それは、例えば、禅寺にいるお坊さんだけが優れているのではなく、禅寺の構造全体が一つの知恵になっているといったことだ。今回の会場にもなっている禅寺というのは、方丈は頭、食堂はお腹、山門は足という具合に身体の構造をアナロジーにしていて、意味フィールドとしての空間を使いながらデザインされている。紺野氏は東洋にはそうした見方があるのではないかと語る。

紺野氏は、企業などの経済セクターと、政府・NPOといった社会を担う社会セクターを領域横断していく機能として「プルーラルセクター(複数セクター)」という考えを提唱している。これは全体で1つの智慧となっていくエコシステムのモデルであり、大いに可能性があるだろう。

なお、東洋というと日本や中国をイメージしてしまいがちだが、紺野氏のいう東洋は古代ギリシアまで含んでいる。西アジア、小アジア(トルコ)、あるいはアレクサンドリアがあった古代エジプトなど古代ギリシア圏、当然イスラム圏も入ってくる。

欧米型の個人主義的な、あるいは、科学の機械的な知に対して、こうした東洋的な文化や知性をベースに新しいことを構想していくことができれば面白いのではないかと締めくくった。



編集後記:社会と経済の“あいだ”をつなぐ、みえないエコシステムを育む


「日本は経済そのものよりも、社会を変革する力が劣化している」

講演序盤、紺野先生のこの指摘にハッとした。

GAFAをはじめとするプラットフォーマーの時代と言われて久しいが、プラットフォームが場のインフラであるとすれば、経営におけるエコシステムはその場における関係性やつながり方、動き方に着眼した概念だ。この両者は陰陽のようにつながってはいるものの、この二つのレイヤーを識別することで、何をデザインすべきかが見えやすくなる。

現在の高度に複雑化した社会においては、ネットワークの構成要素自体を細かく分解したところで本質はそこに在らず、つながり方そのものが鍵になることは以前に佐山教授をお招きし複雑系ネットワークと群れ方を探索した回でもみてきた。

それは、20世紀の工業化の中で、経済規模や効率を過度に求めてきた結果、人と人のつながりや社会に組み込まれていた共同体的な機能、それに伴う精神性が希薄になっているという議論ともつながっていくはずだ。

だが、多様な組織、多様なセクター、多様なユーザーが一つのエコシステムとしてつながり価値を生み出し続けるのは容易ではない。基本的には、集まるものが多様であれば多様であるほど、場の統制は取りづらくなり、すぐに認知限界を超えていきやすいからだ。これは、大室先生のセッション内容ともつながっていくテーマだ。森の在り方など自然の叡智から学べることも多いだろう。

だとすれば、これからの時代の経営に求められるのは、まずは従来のような統制や管理を前提としたマネジメント観を手放すこと。そして、大義を掲げて求心力を高めながら、自分たちを取り巻くみえないつながりや関係性を感じて意識を向けながら、オープンなエコシステムを構築・繁栄させていくこと。それがこれからの時代の経営、ひいては、利益偏重によって分断されてしまった社会と経済の“あいだ”を回復することにつながっていくのだろう。

経営やイノベーションをテーマにしながら、西田幾多郎や中動態(詳細は後編にて)の話を深めていける機会もそうそうない。こんなお話がきけたのも、本フォーラムを建長寺という意味フィールドで開催できたからこそ生まれてきた集合知性なのかもしれない。

TEXT BY YUDAI SHIRAHAMA EDIT BY YASUHIRO KOBAYASHI, SHUHEI TASHIRO PHOTOS BY KEITA FURUSAWA & KANA HASEBE


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